死刑 賛成vs反対                                    TOP
死刑廃止と死刑存置の考察を中心に行うブログ 柳田稔法務大臣(1)
「死刑廃止チャンネル」は死刑反対の立場を守りつつ死刑の実態、歴史、世界の情勢などおよそ「死刑」に関する情報を「反対派に都合のよい」情報にかたよることなく取り上げ、冷静で合理的な判断を、存置と反対のの感情的な対立を煽ることなく議論できる場を目指しています
ネット討論 朝までなんて生ぬるい このお二人にバトルして頂きます
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「自分の子どもが殺されても同じことが言えるのか」と書いた人に訊きたい勝間和代の対談番組に出演したときのこと
続く
死刑執行を命じた小川法相に抗議とはお門違い    大西宏  死刑を執行した小川法相に強く抗議します   秋原葉月
ビジネスラボ代表取締役。自称「マーケティングの棟梁」 憲法問題、歴史認識問題などを中心に執筆している
ネットリサーチで行われた「死刑執行は国民に支持されていると思う?」というアンケート
・何の落ち度もない人間を自分の欲望を満たすためだけに殺した奴は、自らの命でつぐなうべき。
・欧米の犯罪加害者の人権重視、犯罪被害者の人権軽視の風潮は違和感を感じる。
・殺した方は当然生きていてるから人権を尊重し、死んだ被害者は人権無視というような生きているもの勝ちっていう発想のはおかしい
・個人が支持するとかしないとかではなく、国家が国民の尊厳や生活を守るために必要な手段の一つでしかない。
・死刑を廃止すれば、どうせ殺人しても自分が死刑によって殺されることはないという変な安心感を与えて今より殺人事件が簡単に起こるようになるのでは?
・国家や政府は正義なんて気にしていない。 見せしめに死刑にできる人間さえいればいいんではないか。
・殺人犯も兵隊も、偉い人の都合で殺されるのは一緒じゃん。 何か適当な理由を付けて死刑にされる可能性が怖い
・はっきり言って、死刑にするかどうかなんて 偉い人たち気持ちひとつだろ。 死刑は正義なんか守らない。国民も守らない。 偉い人の面子と権益を守るだけ。
・「やられたら、やり返す」 という感じがします。他の刑に服するのと違い。
・どうしても感情論になるでしょう。 私は死刑反対ですが、多分その立場になればその犯罪者に「死刑だ!」と叫ぶかも
・結局、私も含めてこの国民は感情をコントロールできない子供が多いということでしょう
世論の支持」は死刑存続の理由になり得るのか ?       どん・わんたろう
その国の人間が最も納得できる形こそ最も望ましい形ではないのだろうか。
そのために適切な行動を心がけていくことでそれらの存在価値を決める。
「野蛮な国」?
そもそも死刑の存置廃止のみで野蛮か否かを決めるような国の意見を鵜呑みにすること自体納得できない。
今まで日本が果たしてきた国際貢献への取り組みは世界でも屈指。
死刑の有無ということのみで「野蛮な国」とやらが果たしてきた功績を否定できるものだろうか?
反捕鯨派の理論と同じで、結局人間の命が絡んできているのにも関わらず、
彼らが語るのはただの「好み」でしかない。
死刑の存廃は、もはや「国内問題」で突っぱねられる段階ではないと思う。死刑を続けていることで、人権意識の希薄な「野蛮な国」とみなされ、外交や国際ビジネスに影響する日が来るかもしれない。政府は国際的な潮流を含め、死刑に関する正しい情報を幅広く国民に公開するとともに、もっと積極的に問題提起や議論の喚起をすべきだ。

「世界に死刑は必要か?」を読んで     リュウ&ネコのフー&ミー 
私の場合、死刑を容認する理由がもう2つある。
一つは、「身勝手な理由で殺人を犯す人間には、生きている価値などない」と考えるからだ。
通常、人は他者を尊重する。他者を尊重することで、社会は次の世代を育むことができる。
けれど、次世代を殺していく人間や、社会を不安に陥れるだけの人間には、私は生きている価値を見出せない。
他者の益になることを放棄した者は、その社会に属する理由も放棄していると思う。

もう一つは、「転生」の概念である。
次の生がまた人間であるとは限らないが、幾度も生まれ変わることによって魂は磨かれていくだろうと、朧げながら信じている。
幾度も殺人を犯すような残念な人生であるなら、生まれ変わることで、次はもう少しマシな生を送ってほしいと思う。
これを慈悲と考えられるかどうかは、人によって違うだろう。
理解してほしいとは必ずしも思わない。
ただ、私の中には、こういう気持ちが確かに存在する。
自分は死刑に反対なのですが、支持派を説得するのは不可能だと思っています。この記事で書かれているように彼らが依拠するのは信仰か情緒のレベルの話なので、どんな話をしても説得できない。
この記事で書かれていることは、被害者遺族の立場を前提とした、共同主観性に基づいています。つまり、遺族だったら、犯罪者の死を望むに違いないという。しかし、実際はどうなのか? 遺族がもし死刑の現場を目の当たりにしたら、本当に気が晴れるのか? そこを見極めることが必要だと思う。

光市母子強姦殺人事件、差し戻し審、死刑判決   小松原織香
死刑にするだけでは何も解決しない   秋原葉月
yahoo user ec953
暴論極まれり、ですね。
1.「処罰しても完全な現状復帰はあり得ない」?
そんなことは死刑に限らず、全ての犯罪に共通した事実に過ぎないでしょう。仮に、誰かがあなたを20年間どこかに監禁したとして、その報復に私をいくら監禁したってあなたの20年間は戻らない。だからって犯人は無罪放免でいいわけ? 死刑だけを抜き出して論じる意味がありません。論理的にナンセンス。
2.いやいや、死刑には抑止力があることははっきりししていますよ。2007年に岐阜で女性を拉致殺害して埋めた凶悪事件が解決したのは、運転手役の男が「死刑になりたくなかった」という理由で自首したためであることが報道されています。残念ながら全ての事件で抑止力になるわけではもちろんありませんが、死刑の存在が未然に凶悪事件を抑止し、解決に導いた事実が厳然としてあるのですよ。何とかの一つ覚えのように、「死刑には抑止力がない」という決まり口上は、この例ひとつとってもととうの昔に破綻しています。
3.常日頃、自由権を中心に個人の人権を大声で主張する人たちほど、不思議に犯罪については「属人性がどうこう」などと急に宗旨替えをして恥じないのは不思議ですね。
ともかく、もう少し議論に値する論理構成でないと、「死刑ハンタイ」も広がっていかないでしょうね。
石田 力
死刑には何の意味も無いと私も思います。詳細は私のブログでも述べておりますがhttp://pub.ne.jp/ishida1961/
主要な理由は次の通りです。
1.犯人を死刑にしても、被害者が生き返るわけではない。
2.犯罪の抑止力としても死刑には効果は無い(あればとっくに死刑に値する犯罪はなくなっているはず)。むしろ死刑の存在により犯罪の発覚を恐れて凶悪化するケースも多い。
3.犯罪の属人性を前提とするこれまでの刑法に見られる考え方を改めて、犯罪を社会的病理と看做した対応が今日の社会には求められている。

 今日の社会に求められているのは、犯人が何故その犯罪を犯すことになったのかを徹底的に究明して、再び同様の犯罪が起きないように努力することではないかと思います。そのためには犯罪者に自らの罪と直接向かい合わせて真の原因を追究する措置が必要であると思います。